2017年11月27日月曜日

第9回(第10回改め)研究会 2018.2.16.

【日時】2018年2月16日(金)17:00~19:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 15号館(マキムホール)10階 M1010

【テーマ】
著者を囲んで
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

【研究会を終えて~開催レポート】 

著者・浅井優一は、本書『儀礼のセミオティクス』で、フィジーでの長期のフィールドワークと文献研究に基づくデータを、言語人類学の理論の光の下に照らし出している。首長の即位儀礼が28年もの長きにわたって開催されず、首長が実質的に曖昧化されていることの原因が、ダワサム地域の人々の親族体系と土地所有の問題、とりわけ、19世紀後半の植民地統治時代以降に、フィジー人の家族集団の管理と土地所有をめぐってなされた記録文書にあったのだ。即位儀礼の開催を唱える人々、様々な理由から即位儀礼開催に反対する人々だけでなく、文書を保管・管理してきた政府の役人の意思や思惑が複雑に錯綜する状況が丹念に描き出されている。本書では、実施された即位儀礼、政府によって制作された映像資料を含め、人々の語り、儀礼の語りなどがすべてテクストとして扱われ、言語人類学の理論を導きの糸としながら、この一回きりの出来事を描くことによって、文化的事象の固有性の記述の中に、分厚い民族誌記述が成し遂げられている。本書で浅井が挑んでいるのは、コミュニケーションおよび相互行為の回路に現れる「意識」の問題であると思われる。意識の臨界点のうちに生み出されるテクストを拾い上げ、意識化の対象になり易いもの、無意識のレベルに後景化するものが現実の相互行為の中にズレや歪みを生起する過程を記述分析する言語人類学のメタ理論の構築が、ここでは目指されている。

言語人類学の専門用語や概念枠組みの理解を含め、著者を囲んで、質疑応答形式で、活発に議論・意見交換がなされた。研究会には、全部で12名の出席があった。

第9回研究会(開催せず)

諸事情により開催せず。
申し訳ありません。

2017年8月13日日曜日

(第8回研究会)立教大学異文化コミュニケーション学部主催公開講演会 2017.11.25.

【日時】
20171125日(土)14:0018:00 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス M201(15号館・マキムホール2階)
*ポスター、チラシに掲載された教室からは変更されていますので、ご留意ください。
立教大学池袋キャンパス
【テーマ】
宗教の再創造―人間の精神性の根源を考える

【プログラム】
  挨拶 浜崎桂子(立教大学異文化コミュニケーション学部、学科長)

I.
 
趣旨説明  実松克義(立教大学名誉教授)
      加藤之(東京基督教大学准教授、立教大学兼任講師)
      平林二郎(大正大学綜合佛教研究所・研究員)

(休憩1)

II.
3 小村明子(上智大学アジア文化研究所客員所員)
      佐藤壮広(立教大学兼任講師、宗教情報センター研究員)
      奥野克巳(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)

(休憩2)

III.
シンポジストによる討論

(休憩3)

IV.
学生・一般参加者からの質問に答える

司会:実松克義(本学名誉教授)
   細井尚子(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)


【その他】
参加費:無料
事前申し込み:不要

【立教大学のホームページ】
【問い合わせ先】
立教大学・学部事務4課 異文化コミュニケーション学部担当(03-3985-4824)

あるいは;
・実松克義 ankari[アットマーク]jcom.home.ne.jp
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com

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写真は、左上:平林二郎氏、右上:加藤喜之氏、下:実松克義氏からの提供。

『キリスト教新聞』2017.12.25.号の紹介記事 ↓
http://www.kirishin.com/2017/12/18/10237/

2017年7月15日土曜日

第7回研究会 2017.11.11.

【日時】2017年11月11日(土)17:30~19:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで

「異貌の古事記」の画像検索結果

  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。


【研究会を終えて~開催レポート】

 著者(斎藤英喜)は、神には祭礼の中でパワーアップし、成長するという面があるという。研究会の冒頭で、著者がそうした側面に着目するようになった経緯についての説明がなされ、神話の歴史性が問われるべきだという本書の基本的な考えが示された。本書では、日本の神話である『古事記』に焦点があてられ、中世の仏教の影響により神が成長し、近世では本居宣長や平田篤胤らの注釈によって、神がつくり直され、さらには、 近代に入って、ラフカディオ・ハーンや折口信夫を介して、神話および神々が解釈・再解釈されていった神話の歴史に重点が置かれる。その意味で、本書は、構築主義的な神話の読解であるとも考えられるが、著者は、そうではないという。人間の所業に重きを置くのではなく、人間を超出した神々がそのつど力を持ったと捉える点で、構築主義とは一線を画するのだと主張する。

 本居や平田による神話の注釈という学的伝統、平田による西欧の科学知の吸収と世界把握、古事記に平田が持ち込んだ死の問題、テキストとしての古事記と無文字社会の口承神話の問題、ハーンとスピリチュアリズム、折口信夫のアニミズムと一神教への関心と彼の学問など、本書に示されている様々な課題および考察の糸口について、活発に質疑・討議が行われた。


 全部で6名の参加があった。

2017年6月9日金曜日

第6回研究会 2017.10.13.

【日時】
2017年10月13日(金)16:00~19:00 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
 『信念の呪縛』から宗教研究を問い直す

*各章の論点を整理しながら、ゲストコメンテーターの意見を交えて、ディスカッションします。

【司会進行】奥野克巳(立教大学)、佐藤壮広(立教大学)
【ゲストコメンテーター】花渕馨也(北海道医療大学)


  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
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【研究会を終えて~開催レポート】

 浜本は、この民族誌の中で、ケニアのドゥルマの妖術信仰をひとつの「信念セット」として読み解き、そのありようを、人々の日常的な実践的な関わりの中から明らかにしようとしている。本書は、30年に及ぶフィールドワークに基づいて、ドゥルマの妖術の「分水嶺」のこちら側から眺める研究者である浜本にとって――括弧を用いて、ところどころに著者独自の突っ込みが入れられるという、ひじょうに興味深い仕掛けが印象的である――、分水嶺の向こう側に住まうドゥルマの人たちが、不幸をめぐって、または地域に巻き起こる抗妖術運動などをつうじて、いかに妖術信仰に否応なく呪縛されていくのか記述分析している。間違いなく、現代日本の最高峰に位置する民族誌である。

 研究会には、北は北海道、西は広島、南は九州から集まった参加者たちによって、人類学の昨今の存在論的転回と本書が目指す学問の質的な違いや、「突っ込み」の持つ意味などをめぐって、また、ゲスト・コメンテーターの花渕さんの発題に関して、様々な角度から、活発な議論や意見交換が行われた。

 全部で9名の参加があった。

2017年5月23日火曜日

第5回研究会 2017.7.22.

【日時】
2017年7月22日(土)17:30~19:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで
石倉敏明(文)・田附勝(写真)『野生めぐり:列島神話の源流に触れる12の旅』を読む~


  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

【研究会を終えて~開催レポート】

 はじめに、著者・石倉敏明さんから、フィールドワークのスタイル感覚を持った写真家の田附さんとともに、日本列島で宗教施設が立っている場所を取材して、ハイデガー的な意味での「雰囲気」を、野生という概念を用いて掘り下げてみようと思ったという、本書の企画に至る思いが語られた。

 その後、「精霊動物」の概念に関する質疑応答を皮切りに、イヌ科やネコ科の動物をめぐる比較文明論(比較神話学)、本書の中でも触れられているヘビや虫をめぐってなされてきた、たんに害虫駆除ではない信仰のかたち、またそれと観念的にパラレルであると思われる日本列島で征服された側の神の扱いをめぐる議論、藁を用いた神の形象をつくり上げる、シルビオ・ゲゼル的な「朽ちていく思想圏」をめぐる諸課題、蜘蛛の生命活動を模倣してくみ上げられた太地浦の捕鯨およびそれらが食べ物という「消えゆくもの」に関わるという想像力などに関して、参加者と著者の間で議論が交わされた。

 また、縄文時代以降の日本列島の人々の「心」の問題を、環太平洋の文化圏のうちに位置づけようという試みに対する批判的な考察が参加者から加えられ、著者からは、レヴィ=ストロースの神話の変換・変形をなぞりながら、環太平洋圏で考えていくことの重要性に関して応答がなされた。さらに、近代以降の科学思考が隆盛する時代において、日本列島に残された野生の思考がいかに科学万能主義を超えていく社会を構想するヒントに満ちているのかという質問に対しては、野生の思考を深いところで保持しながら自然と文化を切り分けて文明を持つようになった人間を見る術に関して、著者から説明がなされた。

 参加者からの活発な問いかけに対して始終石倉さんから明晰な応答がなされ、最後に、石倉自身の今後の研究の展望が述べられて、研究会は終了した。

 全部で15名の参加があった。

2017年5月15日月曜日

(第4回研究会) 立教大学異文化コミュニケーション学部主催公開講演会 2017.7.8.

【日時】
2017年7月8日(土)14:00~17:00 【終了】

【場所】



【テーマ】



【内容】
シャーマンとは、変性意識の状態に入ってこの世とあの世、目に見える世界と目に見えない世界を自在に行き来し、占いや託宣、病気治しなどを行う職能者のことである。人間であるシャーマンが非―人間としての霊的存在と霊的な力を統御することで人間および人間社会に深い影響をもたらす宗教文化的な制度が、シャーマニズムに他ならない。シャーマニズムは過去の遺物ではなく、今日でも世界中で広く行われている。シャーマンによる儀礼実践はこれまで、シャーマンと霊的存在との争いや交渉が人間同士の社会関係のモデルによって隠喩的かつ象徴的に説明されるか、もしくは、そうした心的表象の次元が不問のまま、社会的な動向との関係において分析される傾向にあった。それに対して、シャーマンが霊界へと飛翔し、邪霊から病者の霊魂を取り戻す場面で、人々がまさにそこで起きていることを心の中に思い抱くという面には、あまり注意が払われてこなかった。人々は思考に先立って世界に直接触れながら、「世界―内―存在」として、シャーマニズムそれ自体が立ち上がる情況のうちにいる。近年のいわゆる存在論の人類学は、アニミズムやシャーマニズムを含む宗教文化的な実践を「真剣に受け取る(taking seriously)」という現象学的な人類学のアプローチを重んじる。シャーマニズムに関わる人々の世界への能動的ないしは受動的な参加を「真剣に受け取る」ならば、シャーマニズムを新たな光の下に照らし出すことができるだろう。本公開講演会では、シャーマニズムの存在論を問う視座から、日本、モンゴル、マヤのシャーマニズムを取り上げて再評価し、宗教人類学の課題と展望を示したい。

(公開講演会の使用言語は日本語。一部モンゴル語からの通訳有。)


【プログラム】(すべて仮題)

趣旨説明・司会 奥野克巳(立教大学・異文化コミュニケーション学部)


発表1
佐藤壮広(立教大学、宗教情報センター)
土地の記憶をつなぐ民間巫者:戦後沖縄社会とユタの語り
発表2
都馬バイカル(桜美林大学・リベラルアーツ学群)
モンゴルの祖先崇拝:潜在するシャーマニズム
発表3
実松克義(立教大学・名誉教授)
マヤの十字架マヤ・シャーマニズムにおける生命の樹と人間存在の探究
発表4
チロンバートル(モンゴル国立大学/立教大学招へい研究員)
モンゴルのシャーマンの霊力について




【その他】
参加費:無料
事前申し込み:不要

【問い合わせ先】
立教大学・学部事務4課 異文化コミュニケーション学部担当(03-3985-4824)

・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。



【公開講演会を終えて】
 まずは、シャーマニズムを「多文化主義」から引き剥がし、「多自然的宇宙」の中に位置づけて、それを真剣に受け取ることの意義についての趣旨説明がなされた(奥野克巳)。

  発表1では、シャーマニズムを真剣に受け取るために用意された「巫者新聞」が仮想的に呈示され、身体と沖縄の地図を重ね合わせる第二次大戦後を生きるユタの現代の創造性が論じられた(佐藤壮広「土地の記憶をつなぐ民間巫者:戦後沖縄社会とユタの語り」)。

  発表2では、仏教の浸透や国家体制により消失したかのように見える内蒙古のシャーマニズムが、現代の人間だけでなく家畜を対象とする人々の行為の中に色濃く見られるという指摘がなされた(都馬バイカル「モンゴルの祖先崇拝:潜在するシャーマニズム」)。

  発表3では、伝統的に十字架を用いるマヤの人々の日々の儀礼実践の中に、現世と他界のバウンダリーを超えて、人間存在の本質に接近するマヤ存在論があり、それが私たちに何をもたらしてくれるのかに関する一つの見通しが示された(実松克義「マヤの十字架・マヤ・シャーマニズムにおける生命の樹と人間存在の探究」)。

  発表4では、モンゴルのシャーマニズムはこれまで、シャーマンの霊力を真剣に受け取る人々の態度に支えられていたことを意識しながら、そのエネルギーの本質を探る試みがなされるべきであるとされた(チロンバートル「モンゴルのシャーマンの霊力について」)。

  4人の発表に続いて、特別コメンテーターである斎藤英喜さん(佛教大学)による全体の趣旨の問題意識および各発表への質疑とともに、シャーマニズムが社会構造だけでなく、祖先神や最高神につながるありさまへの着目が真剣に受け取ることにつながるのではないかという指摘がなされた。

  その後、フロアーから、沖縄シャーマニズムの「創造」の問題、シャーマニズムを真剣に受け取ることとカントの悟性と感性の相関、ヨーロッパにおけるシャーマニズム、仏教とモンゴルのシャーマニズムの関係などについて、質疑が寄せられるとともに、それらへの応答がなされた。

  参加者は、全部で65名であった。



2017年4月11日火曜日

第3回研究会 2017.6.19.


【日時】
2017年6月19日(月)18:20~20:20 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【発表と実践】


 【1】 L. Chuluunbaatar 
 (National University of Mongolia/Invited Visiting Scholar at Rikkyo University)

"Studies of Mongol Shamanism."

 【2】 Takehiro Sato (Rikkyo Univeristy)

 The Way of the Shamanship
  - A Practical Lesson of becoming Shaman-
-Sensing the multiple sounds of Shaman-

 *This seminar will be held in English.



【問い合わせ先】

配布資料を準備する関係で、前日(6月18日)までに、参加の旨を下記アドレスにお知らせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。






【研究会を終えて~開催レポート~】 
 第3回宗教人類学研究会では、最初に、佐藤壮広氏が、これまで独自に開発してきた、シャカシャカと音が鳴る卵大の楽器を用いて、音を聞き、音を感じ、参加者で音を合わせ、次第に音を止めることによって、その先にある果てしなき宇宙へとつながる、シャーマニズムの音楽学的な可能性を視野に入れたワークショップが行われた。

  その後、チロンバートル氏による口頭発表が行われ、前半では、1864年のドルジ・バンザロフによる記念碑的なモンゴル・シャーマニズムに関する研究に続いて、1921年以降の社会主義体制下で迫害されたモンゴルのシャーマニズムを研究した一連の研究者が紹介され、1990年の民主化以降のシャーマニズムの復活と研究の隆盛の経緯が丁寧にたどられた。

 後半では、今から5000~7000年前のモンゴルにおけるシャーマニズムの誕生から、匈奴時代のシャーマニズムの勃興、モンゴル帝国時代(13世紀)における諸宗教の融和状況におけるシャーマニズム、16世紀のラマ仏教の移入による仏教とシャーマニズムの混淆、1920年代から1990年代にかけての共産主義体制下でのシャーマニズムの抑圧と衰退、1990年以降の復活までが、様々なエピソードとともにたどられた。

 チロンバートル氏は最後に、口琴を演奏し、世界を祝福した。この発表により、シャーマニズムの王国たるモンゴルのシャーマニズムの全容に触れることができたように思われる。
 
 シャーマニズムが抑圧されるというのはどういうことなのか、モンゴルのシャーマニズムはどのように分類されるのか、外来宗教である仏教との関係でシャーマニズムが駆逐されず、混淆したとはいかなることだったのか、モンゴルでは女性のシャーマンが多いことなどについての質疑応答が行われ、活発な意見交換が行われた。

 第3回研究会には、全部で15名の参加があった。

2017年4月4日火曜日

第2回研究会 2017.5.15.

【日時】
2017年5月15日(月)18:20~20:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで
大道晴香著『「イタコ」の誕生:マスメディアと宗教文化』を読む~


  【問い合わせ先】
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 【研究会を終えて~開催レポート~】  
 第2回宗教人類学研究会では、最初に著者から、本研究の概要、結論、反省点などが簡潔に述べられた後に、著者と参加者との間で、活発な質疑・意見交換が行われた。

  シャーマニズム研究に臨む時、研究者は当該地域における様々な情報を集めるが、その情報自体が当のシャーマニズムに深く影響を及ぼしている。そうした点に目が向けられ、深く掘り下げられている点に、本研究の大きな特徴があると捉える見方を皮切りとして、マスメディアがつくりだす「リアリティー」とは何か、その強度とは何か、に関しての質疑がなされた。

  次に、マスメディアとシャーマニズムの関係に焦点があてられているので、ないものねダリ的な言い方になってしまうが、イタコがいかなる存在者なのかが見えてこないという指摘がなされ、また、表象論における主体・客体の用法に少し違和感があることが述べられ、他方で、聖典や司祭などのメディア(媒介)をつうじてしか宗教が成立しえないということとの対比においてマスメディアを取り上げているという、宗教の普遍性への視点に届いている点は、大いに評価されるべきだという示唆がなされた。

  この最後の点に関しては、宗教の媒介者とマスメディアの二重の媒介性から、シャーマンの本質に迫る必要があるのではないか、イタコの口寄せの現実の真偽はそもそも二の次のことで、シャーマニズムには、その場所その場所での社会的機能があるだけで、そうした本質へと迫っていく必要があるのではないか、という意見も寄せられた。

 また、実在するイタコが将来的にいなくなる中で、オリジナルなきコピー、記号だけが、イタコを成立させるのだとすると、そこで成立するものははたして宗教なのかどうか、そこでいう宗教的なるもの=宗教性や非宗教性とはいったい何であるのか、そもそもそういったカテゴリー化にどれほどの意味があるのかという点にも議論は及んだ。また、この点に関連して、民俗文化からイメージされた現実でないものが現実を生みだすプロセスが進行すると、サブカルチャー的なものと宗教的なるものの差異がなくなってしまう。その意味で、宗教なるものが何であるのかの探究は重要なのではないかという指摘もなされた。

 表象されるものがはたして宗教的なるものたりうるのか、という点に気づかせてくれるというのが、本書の重要な問題提起のひとつなのではないのかというのが、全体をつうじて浮かび上がってきたことである。

 第2回研究会には、全部で15名の参加があった。

2017年2月24日金曜日

第1回研究会 2017.3.31.

【日時】
2017年3月31日(金)14:00~18:00 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 15号館(マキムホール) 10階 M1010 M1008(参加予定者が増えたため教室変更)
【テーマ】
堀一郎 『日本のシャーマニズム』(講談社現代新書、1971)を読む


【問い合わせ先】
初参加の方、質疑など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

【研究会を終えて~開催レポート~】
 第1回宗教人類学研究会では、まず、世話人から研究会立ち上げの経緯や趣旨説明がなされた後、参加者から自己紹介とそれぞれの関心が表明された。その後、堀一郎著『日本のシャーマニズム』(1971年)が取り上げられ、参加者から自由に気づいた点、分からなかった点などが出されて、活発な議論が行われた。

 堀は、1970年代以降の日本で盛んになるシャーマニズム研究を牽引した宗教学者であり、ミルチア・エリアーデの大著『シャーマニズム』の訳者でもあり、柳田國男の娘婿でもあった。彼は、エリアーデ経由でシャーマニズムの原型を「脱魂型」の飛翔を行う北方ツングース系であるとし、まずは、日本に見られるシャーマニズムを、その系統につらなる、ツスやユタなどの神霊による召命入巫者である「真正巫」と、訓練または技術習得によって巫業をおこなう、神社ミコ、神楽ミコなどの「擬制巫」に分類した。その上で、堀は、そうした日本のシャーマニズムが、社会変革期における民衆の不安や動揺、価値転換などのアノミー状況の中に、時に呪的カリスマとしてのシャーマンを教祖として、新宗教運動のかたちで現れたのだと分析した。また、日本の農村で、氏神の祭祀や儀礼がおこなわれ、そのことによって共同体の意識を強化しながら保たれてきた「氏神」型の信仰と、それを超えた、共同体の外側の広がりにおいて崇敬者を獲得した「人神」型の信仰に区分けし、シャーマニズムは、後者、つまり人神型の神からの託宣を担うシャーマンを介して機能したのだと論じた。

 参加者からは、堀の構想した日本のシャーマニズムの見取り図は、エリアーデにあまりにも深く負っているために不要な歪みをもってしまっているのではないか、堀のロジックは、社会学者のアノミー理論を用いた社会システム論ではないか、それは現代日本のスピリチュアルな動向を分析する時にも応用可能であるが、宗教を社会との相関から説明しようとしただけの堀の図式の再生産になってしまうのではないか、堀の研究からは、広義のシャーマニズムの渦中にあった民衆の姿が一向に見えてこないのではないか、堀の強調する「燃えるシャーマン」のイメージは客観主義を超えた文学表象ではないか、シャーマンは言語によっていかに表現されうるのか、
堀は神をいったいどのように捉えていたのか…、などという点に関して意見表明や情報交換がおこなわれた。

 第1回研究会には、全部で17名の参加があった。