2017年4月11日火曜日

第3回研究会 2017.6.19.


【日時】
2017年6月19日(月)18:20~20:20 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【発表と実践】


 【1】 L. Chuluunbaatar 
 (National University of Mongolia/Invited Visiting Scholar at Rikkyo University)

"Studies of Mongol Shamanism."

 【2】 Takehiro Sato (Rikkyo Univeristy)

 The Way of the Shamanship
  - A Practical Lesson of becoming Shaman-
-Sensing the multiple sounds of Shaman-

 *This seminar will be held in English.



【問い合わせ先】

配布資料を準備する関係で、前日(6月18日)までに、参加の旨を下記アドレスにお知らせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。






【研究会を終えて~開催レポート~】 
 第3回宗教人類学研究会では、最初に、佐藤壮広氏が、これまで独自に開発してきた、シャカシャカと音が鳴る卵大の楽器を用いて、音を聞き、音を感じ、参加者で音を合わせ、次第に音を止めることによって、その先にある果てしなき宇宙へとつながる、シャーマニズムの音楽学的な可能性を視野に入れたワークショップが行われた。

  その後、チロンバートル氏による口頭発表が行われ、前半では、1864年のドルジ・バンザロフによる記念碑的なモンゴル・シャーマニズムに関する研究に続いて、1921年以降の社会主義体制下で迫害されたモンゴルのシャーマニズムを研究した一連の研究者が紹介され、1990年の民主化以降のシャーマニズムの復活と研究の隆盛の経緯が丁寧にたどられた。

 後半では、今から5000~7000年前のモンゴルにおけるシャーマニズムの誕生から、匈奴時代のシャーマニズムの勃興、モンゴル帝国時代(13世紀)における諸宗教の融和状況におけるシャーマニズム、16世紀のラマ仏教の移入による仏教とシャーマニズムの混淆、1920年代から1990年代にかけての共産主義体制下でのシャーマニズムの抑圧と衰退、1990年以降の復活までが、様々なエピソードとともにたどられた。

 チロンバートル氏は最後に、口琴を演奏し、世界を祝福した。この発表により、シャーマニズムの王国たるモンゴルのシャーマニズムの全容に触れることができたように思われる。
 
 シャーマニズムが抑圧されるというのはどういうことなのか、モンゴルのシャーマニズムはどのように分類されるのか、外来宗教である仏教との関係でシャーマニズムが駆逐されず、混淆したとはいかなることだったのか、モンゴルでは女性のシャーマンが多いことなどについての質疑応答が行われ、活発な意見交換が行われた。

 第3回研究会には、全部で15名の参加があった。

2017年4月4日火曜日

第2回研究会 2017.5.15.

【日時】
2017年5月15日(月)18:20~20:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで
大道晴香著『「イタコ」の誕生:マスメディアと宗教文化』を読む~


  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

 【研究会を終えて~開催レポート~】  
 第2回宗教人類学研究会では、最初に著者から、本研究の概要、結論、反省点などが簡潔に述べられた後に、著者と参加者との間で、活発な質疑・意見交換が行われた。

  シャーマニズム研究に臨む時、研究者は当該地域における様々な情報を集めるが、その情報自体が当のシャーマニズムに深く影響を及ぼしている。そうした点に目が向けられ、深く掘り下げられている点に、本研究の大きな特徴があると捉える見方を皮切りとして、マスメディアがつくりだす「リアリティー」とは何か、その強度とは何か、に関しての質疑がなされた。

  次に、マスメディアとシャーマニズムの関係に焦点があてられているので、ないものねダリ的な言い方になってしまうが、イタコがいかなる存在者なのかが見えてこないという指摘がなされ、また、表象論における主体・客体の用法に少し違和感があることが述べられ、他方で、聖典や司祭などのメディア(媒介)をつうじてしか宗教が成立しえないということとの対比においてマスメディアを取り上げているという、宗教の普遍性への視点に届いている点は、大いに評価されるべきだという示唆がなされた。

  この最後の点に関しては、宗教の媒介者とマスメディアの二重の媒介性から、シャーマンの本質に迫る必要があるのではないか、イタコの口寄せの現実の真偽はそもそも二の次のことで、シャーマニズムには、その場所その場所での社会的機能があるだけで、そうした本質へと迫っていく必要があるのではないか、という意見も寄せられた。

 また、実在するイタコが将来的にいなくなる中で、オリジナルなきコピー、記号だけが、イタコを成立させるのだとすると、そこで成立するものははたして宗教なのかどうか、そこでいう宗教的なるもの=宗教性や非宗教性とはいったい何であるのか、そもそもそういったカテゴリー化にどれほどの意味があるのかという点にも議論は及んだ。また、この点に関連して、民俗文化からイメージされた現実でないものが現実を生みだすプロセスが進行すると、サブカルチャー的なものと宗教的なるものの差異がなくなってしまう。その意味で、宗教なるものが何であるのかの探究は重要なのではないかという指摘もなされた。

 表象されるものがはたして宗教的なるものたりうるのか、という点に気づかせてくれるというのが、本書の重要な問題提起のひとつなのではないのかというのが、全体をつうじて浮かび上がってきたことである。

 第2回研究会には、全部で15名の参加があった。