2017年5月23日火曜日

第5回研究会 2017.7.22.

【日時】
2017年7月22日(土)17:30~19:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで
石倉敏明(文)・田附勝(写真)『野生めぐり:列島神話の源流に触れる12の旅』を読む~


  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

【研究会を終えて~開催レポート】

 はじめに、著者・石倉敏明さんから、フィールドワークのスタイル感覚を持った写真家の田附さんとともに、日本列島で宗教施設が立っている場所を取材して、ハイデガー的な意味での「雰囲気」を、野生という概念を用いて掘り下げてみようと思ったという、本書の企画に至る思いが語られた。

 その後、「精霊動物」の概念に関する質疑応答を皮切りに、イヌ科やネコ科の動物をめぐる比較文明論(比較神話学)、本書の中でも触れられているヘビや虫をめぐってなされてきた、たんに害虫駆除ではない信仰のかたち、またそれと観念的にパラレルであると思われる日本列島で征服された側の神の扱いをめぐる議論、藁を用いた神の形象をつくり上げる、シルビオ・ゲゼル的な「朽ちていく思想圏」をめぐる諸課題、蜘蛛の生命活動を模倣してくみ上げられた太地浦の捕鯨およびそれらが食べ物という「消えゆくもの」に関わるという想像力などに関して、参加者と著者の間で議論が交わされた。

 また、縄文時代以降の日本列島の人々の「心」の問題を、環太平洋の文化圏のうちに位置づけようという試みに対する批判的な考察が参加者から加えられ、著者からは、レヴィ=ストロースの神話の変換・変形をなぞりながら、環太平洋圏で考えていくことの重要性に関して応答がなされた。さらに、近代以降の科学思考が隆盛する時代において、日本列島に残された野生の思考がいかに科学万能主義を超えていく社会を構想するヒントに満ちているのかという質問に対しては、野生の思考を深いところで保持しながら自然と文化を切り分けて文明を持つようになった人間を見る術に関して、著者から説明がなされた。

 参加者からの活発な問いかけに対して始終石倉さんから明晰な応答がなされ、最後に、石倉自身の今後の研究の展望が述べられて、研究会は終了した。

 全部で15名の参加があった。

2017年5月15日月曜日

(第4回研究会) 立教大学異文化コミュニケーション学部主催公開講演会 2017.7.8.

【日時】
2017年7月8日(土)14:00~17:00 【終了】

【場所】



【テーマ】



【内容】
シャーマンとは、変性意識の状態に入ってこの世とあの世、目に見える世界と目に見えない世界を自在に行き来し、占いや託宣、病気治しなどを行う職能者のことである。人間であるシャーマンが非―人間としての霊的存在と霊的な力を統御することで人間および人間社会に深い影響をもたらす宗教文化的な制度が、シャーマニズムに他ならない。シャーマニズムは過去の遺物ではなく、今日でも世界中で広く行われている。シャーマンによる儀礼実践はこれまで、シャーマンと霊的存在との争いや交渉が人間同士の社会関係のモデルによって隠喩的かつ象徴的に説明されるか、もしくは、そうした心的表象の次元が不問のまま、社会的な動向との関係において分析される傾向にあった。それに対して、シャーマンが霊界へと飛翔し、邪霊から病者の霊魂を取り戻す場面で、人々がまさにそこで起きていることを心の中に思い抱くという面には、あまり注意が払われてこなかった。人々は思考に先立って世界に直接触れながら、「世界―内―存在」として、シャーマニズムそれ自体が立ち上がる情況のうちにいる。近年のいわゆる存在論の人類学は、アニミズムやシャーマニズムを含む宗教文化的な実践を「真剣に受け取る(taking seriously)」という現象学的な人類学のアプローチを重んじる。シャーマニズムに関わる人々の世界への能動的ないしは受動的な参加を「真剣に受け取る」ならば、シャーマニズムを新たな光の下に照らし出すことができるだろう。本公開講演会では、シャーマニズムの存在論を問う視座から、日本、モンゴル、マヤのシャーマニズムを取り上げて再評価し、宗教人類学の課題と展望を示したい。

(公開講演会の使用言語は日本語。一部モンゴル語からの通訳有。)


【プログラム】(すべて仮題)

趣旨説明・司会 奥野克巳(立教大学・異文化コミュニケーション学部)


発表1
佐藤壮広(立教大学、宗教情報センター)
土地の記憶をつなぐ民間巫者:戦後沖縄社会とユタの語り
発表2
都馬バイカル(桜美林大学・リベラルアーツ学群)
モンゴルの祖先崇拝:潜在するシャーマニズム
発表3
実松克義(立教大学・名誉教授)
マヤの十字架マヤ・シャーマニズムにおける生命の樹と人間存在の探究
発表4
チロンバートル(モンゴル国立大学/立教大学招へい研究員)
モンゴルのシャーマンの霊力について




【その他】
参加費:無料
事前申し込み:不要

【問い合わせ先】
立教大学・学部事務4課 異文化コミュニケーション学部担当(03-3985-4824)

・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。



【公開講演会を終えて】
 まずは、シャーマニズムを「多文化主義」から引き剥がし、「多自然的宇宙」の中に位置づけて、それを真剣に受け取ることの意義についての趣旨説明がなされた(奥野克巳)。

  発表1では、シャーマニズムを真剣に受け取るために用意された「巫者新聞」が仮想的に呈示され、身体と沖縄の地図を重ね合わせる第二次大戦後を生きるユタの現代の創造性が論じられた(佐藤壮広「土地の記憶をつなぐ民間巫者:戦後沖縄社会とユタの語り」)。

  発表2では、仏教の浸透や国家体制により消失したかのように見える内蒙古のシャーマニズムが、現代の人間だけでなく家畜を対象とする人々の行為の中に色濃く見られるという指摘がなされた(都馬バイカル「モンゴルの祖先崇拝:潜在するシャーマニズム」)。

  発表3では、伝統的に十字架を用いるマヤの人々の日々の儀礼実践の中に、現世と他界のバウンダリーを超えて、人間存在の本質に接近するマヤ存在論があり、それが私たちに何をもたらしてくれるのかに関する一つの見通しが示された(実松克義「マヤの十字架・マヤ・シャーマニズムにおける生命の樹と人間存在の探究」)。

  発表4では、モンゴルのシャーマニズムはこれまで、シャーマンの霊力を真剣に受け取る人々の態度に支えられていたことを意識しながら、そのエネルギーの本質を探る試みがなされるべきであるとされた(チロンバートル「モンゴルのシャーマンの霊力について」)。

  4人の発表に続いて、特別コメンテーターである斎藤英喜さん(佛教大学)による全体の趣旨の問題意識および各発表への質疑とともに、シャーマニズムが社会構造だけでなく、祖先神や最高神につながるありさまへの着目が真剣に受け取ることにつながるのではないかという指摘がなされた。

  その後、フロアーから、沖縄シャーマニズムの「創造」の問題、シャーマニズムを真剣に受け取ることとカントの悟性と感性の相関、ヨーロッパにおけるシャーマニズム、仏教とモンゴルのシャーマニズムの関係などについて、質疑が寄せられるとともに、それらへの応答がなされた。

  参加者は、全部で65名であった。