2018年8月16日木曜日

第11回研究会 2018.10.1.

【日時】
2018年10月1日(月)16:00~20:00 【予告】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 15号館(マキムホール10階) M1010

【テーマ】
エドゥアルド・コーン著『森は考える:人間的なるものを超えた人類学』(亜紀書房 2016年)を読む


【研究会の趣旨】
エドゥアルド・コーンの『森は考える』の邦訳が出版されて(2016年1月)からおおよそ2年半が経過する。その間、人類学では、サブタイトルにある「人間的なるものを超えた人類学」という思想の新生を含め、その問題提起が十分に浸透したとは言い難く、いまだに奇書のように扱われる傾向にある。他方、そのラディカルな思想は、周辺人文学領域に大きな影響の跡を残してきた。今一度、人類学の民族誌的な具体と、C.S.パースのセミオシスをベースとする哲学を組み合わせたコーンによる描述と思索の深みに分け入り、その本髄に達するための検討をおこないたい。

【進め方】
参加者には、各自の関心に従い、気になる点や問題点などを3ヶ所ずつ(数行から1ページくらい)をあらかじめ選び出してきてもらった上で、研究会に臨んでいただき、参加者間で検討を深めていきたいと思います。

【定員/申し込み】
定員は10名とします。
以下までお申し込みください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

2017年11月27日月曜日

第9回(第10回改め)研究会 2018.2.16.

【日時】2018年2月16日(金)17:00~19:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 15号館(マキムホール)10階 M1010

【テーマ】
著者を囲んで
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

【研究会を終えて~開催レポート】 

著者・浅井優一は、本書『儀礼のセミオティクス』で、フィジーでの長期のフィールドワークと文献研究に基づくデータを、言語人類学の理論の光の下に照らし出している。首長の即位儀礼が28年もの長きにわたって開催されず、首長が実質的に曖昧化されていることの原因が、ダワサム地域の人々の親族体系と土地所有の問題、とりわけ、19世紀後半の植民地統治時代以降に、フィジー人の家族集団の管理と土地所有をめぐってなされた記録文書にあったのだ。即位儀礼の開催を唱える人々、様々な理由から即位儀礼開催に反対する人々だけでなく、文書を保管・管理してきた政府の役人の意思や思惑が複雑に錯綜する状況が丹念に描き出されている。本書では、実施された即位儀礼、政府によって制作された映像資料を含め、人々の語り、儀礼の語りなどがすべてテクストとして扱われ、言語人類学の理論を導きの糸としながら、この一回きりの出来事を描くことによって、文化的事象の固有性の記述の中に、分厚い民族誌記述が成し遂げられている。本書で浅井が挑んでいるのは、コミュニケーションおよび相互行為の回路に現れる「意識」の問題であると思われる。意識の臨界点のうちに生み出されるテクストを拾い上げ、意識化の対象になり易いもの、無意識のレベルに後景化するものが現実の相互行為の中にズレや歪みを生起する過程を記述分析する言語人類学のメタ理論の構築が、ここでは目指されている。

言語人類学の専門用語や概念枠組みの理解を含め、著者を囲んで、質疑応答形式で、活発に議論・意見交換がなされた。研究会には、全部で12名の出席があった。

第9回研究会(開催せず)

諸事情により開催せず。
申し訳ありません。

2017年8月13日日曜日

(第8回研究会)立教大学異文化コミュニケーション学部主催公開講演会 2017.11.25.

【日時】
20171125日(土)14:0018:00 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス M201(15号館・マキムホール2階)
*ポスター、チラシに掲載された教室からは変更されていますので、ご留意ください。
立教大学池袋キャンパス
【テーマ】
宗教の再創造―人間の精神性の根源を考える

【プログラム】
  挨拶 浜崎桂子(立教大学異文化コミュニケーション学部、学科長)

I.
 
趣旨説明  実松克義(立教大学名誉教授)
      加藤之(東京基督教大学准教授、立教大学兼任講師)
      平林二郎(大正大学綜合佛教研究所・研究員)

(休憩1)

II.
3 小村明子(上智大学アジア文化研究所客員所員)
      佐藤壮広(立教大学兼任講師、宗教情報センター研究員)
      奥野克巳(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)

(休憩2)

III.
シンポジストによる討論

(休憩3)

IV.
学生・一般参加者からの質問に答える

司会:実松克義(本学名誉教授)
   細井尚子(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)


【その他】
参加費:無料
事前申し込み:不要

【立教大学のホームページ】
【問い合わせ先】
立教大学・学部事務4課 異文化コミュニケーション学部担当(03-3985-4824)

あるいは;
・実松克義 ankari[アットマーク]jcom.home.ne.jp
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com

*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。







写真は、左上:平林二郎氏、右上:加藤喜之氏、下:実松克義氏からの提供。

『キリスト教新聞』2017.12.25.号の紹介記事 ↓
http://www.kirishin.com/2017/12/18/10237/

2017年7月15日土曜日

第7回研究会 2017.11.11.

【日時】2017年11月11日(土)17:30~19:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで

「異貌の古事記」の画像検索結果

  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。


【研究会を終えて~開催レポート】

 著者(斎藤英喜)は、神には祭礼の中でパワーアップし、成長するという面があるという。研究会の冒頭で、著者がそうした側面に着目するようになった経緯についての説明がなされ、神話の歴史性が問われるべきだという本書の基本的な考えが示された。本書では、日本の神話である『古事記』に焦点があてられ、中世の仏教の影響により神が成長し、近世では本居宣長や平田篤胤らの注釈によって、神がつくり直され、さらには、 近代に入って、ラフカディオ・ハーンや折口信夫を介して、神話および神々が解釈・再解釈されていった神話の歴史に重点が置かれる。その意味で、本書は、構築主義的な神話の読解であるとも考えられるが、著者は、そうではないという。人間の所業に重きを置くのではなく、人間を超出した神々がそのつど力を持ったと捉える点で、構築主義とは一線を画するのだと主張する。

 本居や平田による神話の注釈という学的伝統、平田による西欧の科学知の吸収と世界把握、古事記に平田が持ち込んだ死の問題、テキストとしての古事記と無文字社会の口承神話の問題、ハーンとスピリチュアリズム、折口信夫のアニミズムと一神教への関心と彼の学問など、本書に示されている様々な課題および考察の糸口について、活発に質疑・討議が行われた。


 全部で6名の参加があった。

2017年6月9日金曜日

第6回研究会 2017.10.13.

【日時】
2017年10月13日(金)16:00~19:00 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
 『信念の呪縛』から宗教研究を問い直す

*各章の論点を整理しながら、ゲストコメンテーターの意見を交えて、ディスカッションします。

【司会進行】奥野克巳(立教大学)、佐藤壮広(立教大学)
【ゲストコメンテーター】花渕馨也(北海道医療大学)


  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

【研究会を終えて~開催レポート】

 浜本は、この民族誌の中で、ケニアのドゥルマの妖術信仰をひとつの「信念セット」として読み解き、そのありようを、人々の日常的な実践的な関わりの中から明らかにしようとしている。本書は、30年に及ぶフィールドワークに基づいて、ドゥルマの妖術の「分水嶺」のこちら側から眺める研究者である浜本にとって――括弧を用いて、ところどころに著者独自の突っ込みが入れられるという、ひじょうに興味深い仕掛けが印象的である――、分水嶺の向こう側に住まうドゥルマの人たちが、不幸をめぐって、または地域に巻き起こる抗妖術運動などをつうじて、いかに妖術信仰に否応なく呪縛されていくのか記述分析している。間違いなく、現代日本の最高峰に位置する民族誌である。

 研究会には、北は北海道、西は広島、南は九州から集まった参加者たちによって、人類学の昨今の存在論的転回と本書が目指す学問の質的な違いや、「突っ込み」の持つ意味などをめぐって、また、ゲスト・コメンテーターの花渕さんの発題に関して、様々な角度から、活発な議論や意見交換が行われた。

 全部で9名の参加があった。

2017年5月23日火曜日

第5回研究会 2017.7.22.

【日時】
2017年7月22日(土)17:30~19:30 【終了】

【場所】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
*部屋は奥まった場所にあります。場所が分からない場合は、12号館1階の守衛窓口でお尋ねください。

【テーマ】
著者を囲んで
石倉敏明(文)・田附勝(写真)『野生めぐり:列島神話の源流に触れる12の旅』を読む~


  【問い合わせ先】
初参加の方、質疑のある方など、お気軽に下記にお問い合わせください。
・奥野克巳 katsumiokuno[アットマーク]rikkyo.ac.jp 
・佐藤壮広 callsato[アットマーク]gmail.com
*スパムメール対策のため、[アットマーク]を@に代えてください。

【研究会を終えて~開催レポート】

 はじめに、著者・石倉敏明さんから、フィールドワークのスタイル感覚を持った写真家の田附さんとともに、日本列島で宗教施設が立っている場所を取材して、ハイデガー的な意味での「雰囲気」を、野生という概念を用いて掘り下げてみようと思ったという、本書の企画に至る思いが語られた。

 その後、「精霊動物」の概念に関する質疑応答を皮切りに、イヌ科やネコ科の動物をめぐる比較文明論(比較神話学)、本書の中でも触れられているヘビや虫をめぐってなされてきた、たんに害虫駆除ではない信仰のかたち、またそれと観念的にパラレルであると思われる日本列島で征服された側の神の扱いをめぐる議論、藁を用いた神の形象をつくり上げる、シルビオ・ゲゼル的な「朽ちていく思想圏」をめぐる諸課題、蜘蛛の生命活動を模倣してくみ上げられた太地浦の捕鯨およびそれらが食べ物という「消えゆくもの」に関わるという想像力などに関して、参加者と著者の間で議論が交わされた。

 また、縄文時代以降の日本列島の人々の「心」の問題を、環太平洋の文化圏のうちに位置づけようという試みに対する批判的な考察が参加者から加えられ、著者からは、レヴィ=ストロースの神話の変換・変形をなぞりながら、環太平洋圏で考えていくことの重要性に関して応答がなされた。さらに、近代以降の科学思考が隆盛する時代において、日本列島に残された野生の思考がいかに科学万能主義を超えていく社会を構想するヒントに満ちているのかという質問に対しては、野生の思考を深いところで保持しながら自然と文化を切り分けて文明を持つようになった人間を見る術に関して、著者から説明がなされた。

 参加者からの活発な問いかけに対して始終石倉さんから明晰な応答がなされ、最後に、石倉自身の今後の研究の展望が述べられて、研究会は終了した。

 全部で15名の参加があった。